お知らせ
3月1日から4月末までの限定メニュー
碧海のさくらばら寿司
デザート付 2,580円(税込)
ちらし寿司の起源については、いくつか説はありますが定かではありません。
有力なのは、江戸時代の初め頃、備前岡山藩の初代藩主・池田光政が、庶民に質素倹約を命じ、お祭りごと以外では「一汁一菜」とするとしたのに反発した庶民が、魚や野菜をご飯に混ぜ込み、見た目を「一菜」とした、という説です。
「桜の道」となった段葛の季節にあわせて1日20食でご提供いたします。
新しいメニュー 鎌倉海鮮 碧海-umi-ねぎま鍋
予約時注文のみ
2024年12月15日から2025年3月31日まで
鮪と焼き色をつけたねぎを碧海特製出し汁醤油のつゆで煮た鍋です。 焼いて甘味が増したねぎとまぐろが良く合う一品、発祥は江戸時代、庶民の間で食べられていた江戸ねぎま鍋、昔は鮪を醤油漬けにして保存していたため、赤身が重宝していた赤み以外の部分は保存に適さない為、捨てられていたそうです。そんな捨てられていた鮪を捨てずに料理に出来ないかと考えだされたのが江戸ねぎま鍋です。(白米or出し汁茶漬け)
※白米or出し汁茶漬け /デザート付 2,580円(税込)
- 予約前日17時までにご予約
- 提示条件入店時
- 利用条件1名様~
歴史・由来・関連行事
「ねぎま鍋」は、まぐろとねぎを醤油で調理した、江戸発祥の庶民の味。現代ではトロと呼ばれる油の多い腹身は、江戸時代、お客には出せない下品(げぼん)の料理であった。赤味の部分は醤油につけてヅケにして寿司などで供されたが、トロなどの脂身の部分は痛みも速く保存に適さないため、冷蔵庫など保存方法のない当時は、加熱で調理することが多かった。そこでこの脂身を食べる工夫として、ねぎと醤油で一緒に火を通したことから「小鍋たて」の「ねぎま鍋」が誕生したと言われる。江戸中期以降、七輪が開発されたことで、客間に火を持ち出せるようになったことから、鍋を調理器具だけではなくそのまま食すスタイルが普及し、汁物と煮物を合わせたような鍋料理は大変重宝された。火鉢に小鍋をかけて手軽に食べる方法は、現在の卓上加熱機器で調理をしながら食べる風景と通じるものがある。
2月からの新メニュー
若宮大路御膳のはじまり
デザート付 2 ,190円(税込)
若宮大路は、寿永元年(1182年)に頼朝が京都(平安京)の朱雀大路を参考にして、鎌倉の都市計画の第一歩として、また、妻・北条政子の安産祈願のため造られたものです。もともと由比ヶ浜の近くにあった鶴岡八幡宮を現在地の北山のふもとに移し、由比ヶ浜と鶴岡八幡宮とを結ぶ直線道路を造成して若宮大路と名付け、これを基軸に鎌倉の都市造営を行いました。
その歴史ある大路の名前を取って若宮大路御膳としました。
若宮大路御膳は、懐石料理を意識したお料理です。
懐石とは、禅に由来する言葉。禅僧が修行中に、温めた石を懐に抱いて寒さと空腹をしのいだことにちなんでいます。
ですから、「懐石料理」は空腹しのぎの軽い食事を指します。
茶会で出される「濃茶」は、空腹のままいただくと刺激が強く胃に負担をかけてしまいます。そのため、茶会の料理は、お茶をおいしくいただくための簡素な食事が本来のものです。旬の食材を使った季節感のある料理を、素材の持ち味を生かし、お客様に一番おいしく味わっていただけるように心を込めてお出しする20種類食材の若宮大路御膳です。
- 予約前日17時までにご予約
- 提示条件入店時
- 利用条件1名様~
お手洗い、洗面台に置いてますこちら、火を使わずに香りと九谷焼を楽しめるこちらのお香(白檀の香り)お客様からのお問合せが多いのでご紹介します。
詳細は、鎌倉海鮮 碧海-umi-のInstagramハイライトに載せてあります。
ご確認ください。
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